なぜ、セラピストになったのか?

なぜ、セラピストになったのか。

ちょっとだけ、暗い話になるかも。

子どもの頃のこと。

母には「あなたのことは、よくわからない。」と言われました。

長いこと勤めた会社での新入社員研修では、

人事担当者が「ふーちゃん(不思議ちゃんの略)」と呼びました。

自分では、ものすごく真っ当だと思うことをしても

笑われたりすることも、しばしば。

こんな風に自己紹介すると、

「セラピーが必要なのは、あなたじゃない?」という声が

自分の内側から聞こえてきそうですが、

たしかに、私をセラピストの道へ導いてきたものは、

まずは、自分を癒すためのエネルギーだったのだと思います。

中学生の時、無意味なダイエットを始めました。

今思えば、反抗期のエネルギーが内側に向かっていたのでしょう。

母の作ってくれた料理も、

カロリーの高い油が一滴でも入っていたら食べない。

カロリーがない焼きのりを、一袋、一日で食べてしまうかと思えば

夜中に起きて、食パンを一斤食べつくしてしまう。

あまりの痩せ方に、担任の先生が心配して母に

「ちゃんと食べさせてますか?」と聞いたことも。

この場を借りて、

「ママ、あのときは自分の中に閉じこもって、

心配させてほんとにごめんなさい。」

でも、身体が痩せて、貧血ぎみになって、

体力がなければ、気力もなくなり

力を入れると目の周りの毛細血管が切れてしまうような

そんな、身も心も凍えるような体験があったからこそ、

「自分を縛っていたのは、自分だった」

ということに気づいた

その瞬間に、

「心が溶ける」という言葉の意味を、

自分の身体で理解することができたと思っています。

「ベルリン・天使の詩」のように、

白黒に見えていたものが、実はいろいろな美しい色をしていた!

と気がついた瞬間のような。

最近、思うのです。

「人生は、玉割ゲーム」

普通の玉割と違うのは、外から割るんじゃなくて

玉の内側からしか開かない、玉割。

しかも、マトリョーシカ人形のように、幾重にもなっている。

ある課題という玉を割ると、新しい視界がひらく。

そして、つぎの玉という課題を割る。

もうひとつ。最近思っていること。

それは、「人生は、お化け屋敷」(笑)

これはまた、いつかの機会に。

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